“きもち”をつなぐバス ~福島行 報告②
2015年10月21日

◆車窓から見た福島第一原発周辺の街 ~浪江・双葉・大熊・富岡
【語り部:高村美春さん/南相馬市原町区在住、原発震災を語り継ぐ会 主宰】

「おだかのひるごはん」での昼食後、高村美春さんに乗車いただき、浪江ICから富岡ICに向かいました。

DSC05617

浪江町は、2015年10月現在、避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域の3つに分かれ、全町避難の地域です。

浪江ICまでの道沿いにあるモニタリングポストの値は、3.326μSv/h(マイクロシーベルト/1時間あたり)でした。
※仙台市では、2015年3月1日時点の全市平均が0.05μSv/h(仙台市発表)。国の除染基準は0.23μSv/hとされている。

P1010625 P1010627 - コピー

高村さんは、福島第一原発から25km圏内の南相馬市原町区在住。3人の子を持つシングルマザーで、震災当時、一番下の子は保育園児でした。事故直後は埼玉県に避難させた下の子を南相馬に呼び戻してからも、山形市内に住宅を借りて週末避難をさせたり、「子どもたちを守る」ことを再優先に考えながら暮らしてきました。

「汚染地域のすぐ近くで子育てするなんて、育児放棄しているのと同じ」という厳しい言葉をかけられたこともあるという高村さん。放射線に関する情報が錯綜し、専門家や行政の言うことも信じられなくなっていく日々。

2012年、同じ立場の女性の話が聞きたいと、チェルノブイリ原発事故のあったベラルーシを訪問。そこで出会った母親たちから学んだのは、「きちんとリスクマネジメントをしながら暮らす」ということでした。

震災や原発事故の体験を語り継ぐのはもちろん、語り部は自分自身の内面を受容するためでもあるという高村さん。

「第一原発は30年かけても廃炉にできるかどうかわからない。ここに住む人間がきちんと見続けていかないと。真実は一つではないし、子どもを守るには、大きなところも小さいところも、同時にやっていかなくては」と、力強く語ってくれました。

 

富岡ICで高速を降り、2014年9月に車両の自由通行が可能となった国道6号線で、富岡町・大熊町・双葉町を北上。

時が止まってしまった街並み、あちこちにある「帰還困難区域」の看板やバリケード…。目の前の厳しい現実に、言葉を失います。

帰還困難区域は、放射線量が非常に高いレベルにあって住民が戻ることは難しいとされ、本格的な除染は行われていないそうです。

IMG_0913

P1010629

 

◆南相馬市小高区「あすなろ交流広場」
【語り部:久米静香さん/NPO法人浮船の里 理事長】

再び南相馬市小高区へ、コミュニティスペース「あすなろ交流広場」を訪問。NPO法人浮船の里理事長の久米静香さんからお話を聞きました。
小高の人がふらっと立ち寄り、話ができる場を作りたいと、地元の主婦3人がNPOを立ち上げ、2013年5月にオープンしました。

IMG_0931 IMG_0917

ここでは、かつて小高で盛んだった養蚕と織物を足がかりにしたプロジェクト「小高天織」の事業も行っています。蚕を育てて絹糸を繰り、小高の植物で染めて織るまでの全工程が手作業。

「3年待ってくれるという人にお渡しできればいいかなと思っています。だから付き合っている彼女へのプレゼントにするのは難しいかもね…」と、茶目っ気たっぷりに語る久米さん。

小高で生きていくと決めた久米さんは、「自分が疲れてしまうから、敵はつくらないことにしたの。地域に残る・離れる、どちらの選択をしたお母さんたちのことも、みんなで支援してほしい。お母さんが元気になれば、子どもたちも元気になるはずだから」と、笑顔で話してくれました。

IMG_0934 DSC05627P1010641DSC05625

 

◆飯舘村を経由して福島市内へ
【語り部:阿部恵さん/恵むの杜 代表、仙台市在住】
【語り部:虷澤(かんざわ)沙織さん/女子の暮らしの研究所】

南相馬市から飯舘村を経由し、宿泊先の福島市に向かいました。

震災当時、南相馬市原町区在住で、現在は娘さんと一緒に仙台市で暮らす「恵むの杜」代表の阿部恵さんに、ご自身の体験や思いをお話しいただきました。

P1010648

原発事故後、縁があって山梨県に避難することになった阿部さん。普段は弱音を吐かない娘さんが発した「学校に行きたくない」という一言に、子どもの異変に気づけなかった自分を反省しました。

相談した南相馬の先生が教えてくれたのは、原発30km圏内の学校に間借りし、暑いなか窓を閉め切り、長袖・長ズボン、マスクの全身防備で勉強する子どもたちの状況。

悩んだ末、娘さんの高校受験を機に、当時大学生の息子さんが暮らす仙台へ。
山梨で出会ったヒノキのつみ木を使った「楽(らく)つみ木ワークショップ」に感銘を受け、外遊びを制限されている子どもたちにぜひ伝えたいと、活動を始めました。

震災からこれまで、さまざまな選択を迫られ、「一人の人間として自立しなければという思いが強くなった」と阿部さん。そして「一人ひとりの選択を『それでいいんだよ』と認められる福島県人でいたい」という言葉も残してくれました。

 

続いて、震災前は郡山に住んでいた、女子クラの虷澤さんのお話も聞きました。

都会から越してきたママたちが、「郡山ってつまらないよね」と話すのを聞き、おもしろい場所がいっぱいあることを伝えたい!と、子育てママ向けのフリーペーパーを発行。ママ仲間との活動を通じ、女性たちがいろいろなスキルやキャリアを持っていることに気づきます。

順調に版を重ねてきた3年目での、震災と原発事故。「娘を放射線から守ろうと必死になるあまり、毛布にくるんでゴミ袋に入れて避難しようとして、夫に止められました。」

郡山を離れることを決断した虷澤さん、一方で「これからどうしたらいいの?」と、周囲に判断を求めるママ仲間も多くいたといいます。

「フリーペーパーを通じて、ママたちが自分で決める力をつけられるよう支援してきたつもりだったのに、何もできていなかったのかもと感じてしまって。一時は無気力になりました」と虷澤さん。

その後、2年間の東京生活を経て、福島県内でも線量の低かった猪苗代町へ。復興庁の男女共同参画班での経験なども生かした視点で、このツアーを最後まで頼もしくリードしてくれました。

DSC05596_コピー
右が虷澤さん。午前中に訪問した相馬市「報徳庵」前で

 

経由した飯舘村は、全村が避難指示区域となっています。車窓から、除染した土を入れた黒い大量のフレコンバッグが、あちこちに積み重なっている様子が見えました。

飯舘村では、1989年から「若妻の翼」という取り組みを始めました。これは農家のお嫁さんをヨーロッパに村費で研修派遣する、画期的な女性人材育成プログラムです。

仙台からこのバスに参加した菅野陽子さん(岡田手づくりアグリの会)は、仙台市がこれを参考に行った女性農業者の研修に参加し、フランス、ドイツ、スイスの農家を視察したそうです。「農家の女性たちが力をつけるきっかけになった」と、懐かしそうに当時を振り返ってくれました。

 

◆福島市穴原温泉に一泊

26日は、福島市穴原温泉「いづみや」に宿泊。夕食には、福島県男女共生センターの長沢さん、女子クラ代表の日塔さんも駆けつけてくれました。夕食後、全員で記念撮影。

DSC05629_コピー

・・・③につづく・・・

  • Share (facebook)
  • LINEで送る
お問合せ
仙台市男女共同参画推進センター エル・パーク仙台
〒980-8555 仙台市青葉区一番町4丁目11番1号 141ビル(仙台三越定禅寺通り館)5階・6階
TEL.022-268-8300 FAX.022-268-8304 Email park1@sendai-l.jp